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(54)冬の焚火

今年の冬は記録的豪雪と寒波に見舞われている。35年前の日本建築の我が家は大部分の当時のこの地域の建築と同じく夏向きで断熱が良くない。寒い朝などは起きて寒暖計を見ると居間で2-3度を示している朝が多い。

 この寒さで思い出すのはこれまた子供の頃の故郷の冬である。茅葺の天井板のない農家、土間とは隙間風の通る障子1枚で隔てられ、まことに寒いのである。昭和30年ころまでは暖をとるのは囲炉裏だけ、土間には当時やっと作ったレンガ造りのカマドで飯を炊いていた。朝、目が覚めると、囲炉裏でたき始めた焚火の音がパチパチと響き、土間からトントンと包丁の音が聞こえて1日が始まるのである。当時は今年の寒さより寒かったのではないかと記憶している。高知の山間部の故郷で年に数回は学校が休みになった。今思えば電話もない、車も通らない山里でどうやってその連絡を取ったのか?たぶん親が勝手に判断したのであろう。
 学校に通う途中にはところどころ大人たちがドカタ仕事や建築仕事の初めに焚火をして暖をとっている。通学する子供たちもそれをしばし囲んで暖をとる。「おい、遅れるぞ、はよー、もういかにゃいかんぞ」と大人たちが背中を押す。やむなく学校に向かう。
焚き火は子供の心をもいやした。パチパチと音をたて炎が揺れる様は見ていても飽きない。数千年の昔から人である証として食べるために、暖をとるために、湯を沸かすために利用してきた。我々の世代には焚火への愛着がDNAの刷り込まれているように思える。その焚き火、もはや周辺では見ることがなくなり、庭でのゴミ焼もいつの間にかできなくなった。
 先日地元の、書写山円教寺に歩いて登ってみた、境内で1日中参拝客を迎える焚火をしている。年配の参拝客が手をかざしてゆったりと暖をとっている。一方子供つれの夫婦、子供が「ワーッ」と言って寄ってきたが、煙たいのかサーと離れていった。
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by moai-jiji | 2011-02-02 10:12  

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