人気ブログランキング | 話題のタグを見る

(43)冬季オリンピック

  バンクーバーオリンピックが始まった。日本はメダルがいくつ取れるか、国内メディアは希望的予想をする。海外メディアでは日本は銅1個、クールに見ればこんなものかとも思う。
  オリンピックでメダルを取るのは並はずれた身体能力と練習のための環境、コーチ、そして選手個人の過酷な練習に耐え、闘う精神力がそろってなければならないのは言うまでもない。その上で当日の体のコンディション、さらに冬季オリンピックは特に気候的条件などの運がついて回る。それらがすべてそろってメダルの栄誉をうけることになるのだろう。そんな競技で金メダルを取るべくして取る選手は偉大という言葉には尽くせないものを持っている事になる。
  NHKスペシャル“ミラクルボディー”というドキュメンタリーでそんなアスリートを取り上げ高速度カメラと体の動きを追跡する“光”を利用して密着取材と科学的解析をして報道している。内容はオリンピック開幕までは秘密にすることを条件として取材したようだ。門外漢にも実に興味深く入り込める番組である。感心して視聴した人も多いことだと思う。
  モアイもその一人で、先週日曜のスイスのジャンパー シモンアマンの1/100秒と狂わない踏切のタイミングの精度、そして大きなボールの上に乗ってバスケットをプレーする神業的バランス力、神業では片づけられない不思議さに心酔した。今週は男子フィギュアスケート、フランスのジュベール、世界で最も安定して4回転ジャンプを成功させる男だ。4回転は普通の映像では素人にはわからないくらいのスピードだ。高速度カメラでとらえた4回転は高く45度方向に飛び出し、0.7秒の間に見事に4回転して着地している、高く遠くへ飛ぶための飛び出し角度、回転を速くするための軸を細く直線状にすることなど物理の法則にかなった動きを天性の感覚と身体能力でやっているのだろう。秒速にすれば6回転これはもう機械のスピードだ。物理学でいう慣性モーメントを最小にしてジャンプして着地してすぐ手足をスーと伸ばし慣性モーメントを最大にして回転を止めるところも実に美しい。
  あらかじめそんな予備知識をもらうと競技を見る楽しみ方も変わってくる。シモンアマンによる完成された最高のジャンプの本番をドキドキして観る。スケートも単に日の丸応援だけでなくて4回転の神業をその瞬間に楽しむ。今回はひとつそのような楽しみ方をしよう。日本アスリートにとってどのスポーツもトップに立つのは難しくなってきた。世界にはとびぬけた資質を持った人間がいっぱいいる。サッカーしかり、大相撲しかり、日の丸を一寸忘れて、喜んで一流の技を楽しむにしくはない。
(43)冬季オリンピック_c0146425_1616137.jpg

# by moai-jiji | 2010-02-15 16:19  

(42)イタリア紀行 その5

  1日だけ延泊して北の方のフィレンツエを家内と2人で訪問した。
あらかじめ予約していたユーロスターに乗りこんだ、席は2人ずつの向かい合わせ席だ。ペアで座席をとったのに家内とは向かい合わせ、横には同年代のイタリア人と思しき夫婦が席をとり妙な具合だ。ちょっとした事にも感覚の違いがあるのが面白い。車窓風景は南に比べるとやや緑が多くてスイスやオーストリアの風景にも似てきているようだ。
   フィレンツエはルネッサンスと芸術の街だ。ヨーロッパの街は大抵がそうだが街の中心部は歩いて回れる程度で、この街もせいぜい2k四方に主要な観光地が収まっている。サンタマリア駅といういかにも中世の街らしい名前を持つ駅から歩いて主要な観光地は回ることができる。
  ガイドブックによればフィレンツエはメディチ家という薬品で身をおこした大財閥がラファエロ、ミケランジェロ、ボチッチェリなどといった多くの日本人も知っているルネッサンス芸術家や建築家をかかえ芸術の街をおこし、それが現代に繫がっているようだ。
そのメヂィチ家の財を結集したルネッサンスの芸術を展示しているというウッフィツイ美術館に足を運んだ。3階建ての美術館に詰まった芸術作品を鑑賞するには1週間はかかるというのを1時間で見た事にしようというのだから値打のわかってないミーハーは困ったものだ。有名なボチッチェリの「春」と「ヴィーナス誕生」は見逃せないとあるからそこに向かってまっしぐらのつもりだが、迷路のようで行ったり来たりしてくたびれ果ててやっと目的の「春」と「ヴィーナス誕生」にたどり着く。中学生の頃の記憶にある現物がそこにあるという満足感、それ以上について感性と知識のとぼしいモアイには語れない。ただ中世の貴族はずいぶんと官能的なリアルな画像を邸宅に飾っていたものだと感心。
  自由な2人旅は時間を気にしたり、食事を考えたり煩わしいがそれだけいろいろな思い出に残る出会いもある。そのひとつワッフルの店に入っておやつをとっていると隣に絶世の碧眼、金髪の美女聞いてみるとロシアからの留学生らしい。その生きた北方のヴィーナスと記念に写真を撮らせてもらった。(これは家内の希望)
  帰りの列車ではアメリカ人旅行者グループと一緒になり、こちらがガイドブック「地球の歩き方をめくっていたら、ちょっと見せてくれという。そしてアメリカ版のガイドブックを見せて「違うなー」と、なるほど日本のものは奇麗なカラー地図、写真をふんだんに盛り込み親切で見やすい。アメリカ版はモアイが経験した技術レポートもそうであるように文章の羅列が多い。こんなところにも日本のカルチャーの強みがあることを改めて思った。

(上:ユーロスター 中:フィレンツエ街並み 下:北方のヴィーナスと共に)
(42)イタリア紀行 その5_c0146425_10181278.jpg














(42)イタリア紀行 その5_c0146425_107492.jpg













(42)イタリア紀行 その5_c0146425_10121175.jpg

# by moai-jiji | 2010-01-17 10:21  

(41)イタリア紀行 その4

ローマは歴史遺産の宝庫である。工事を起こせばそこら中から遺跡が発掘されるので工事業者にとっては厄介なことかもしれない。
そんなローマの中心部近くににサンピエトロ寺院とローマ法王の住まわれるバチカン宮殿がある。ここは 世界一小さなバチカン市国に属するがバチカン市国はわずか0.44Km2しかなくすべての国家機能があろうはずもなくローマ市との間でうまく補い合って成り立っているのだろう。人口1000人足らずのこの国に日本大使館を置き、在東京バチカン大使館もあるようだ。
サンピエトロ寺院はカトリックの総本山である。ヨーロッパや南米あちこちに豪華を競うカトリック寺院はあるが、世界一大きく、世界一豪華なものはこのサンピエトロ寺院とある。中世に我々も知っているミケランジェロやラファエロの設計で建築され、床面積50000m2、塔の高さ120mの豪華絢爛たる様は日本人にとっては衝撃的である。その床、壁は当時古代ローマのパンテノンなどの遺跡を掘り起こして採った色大理石を敷きつめ装飾につかった金箔は200トンを超えるという。
   自然の懐に抱かれて育ち、質朴な氏神様の中に神様をみるモアイにとってはお祈りする気持ちよりただ圧倒されるのみである。江戸初期いくつかの若いローマ使節団が日本から送られているが、仙台藩の支倉常長は伊達正宗の命を受けメキシコ、スペインを経由して7年の歳月をかけ渡欧したとある。文明のギャップ、文化の違いから受けた衝撃はいかほどだったか想像を絶する。永い訪問を終えて帰国したとき日本は禁教、鎖国の状態で常長らの運命は暗転した。衝撃を受け、見て来たものを伝えることもできず、共感を得ることの全くできない悔しさ、無念さはいかほどだったかと思う。
   ローマ旧市街の中心部にフォロロマーノと呼ばれる古代ローマ帝国の政治中心の遺跡群がある。世界史で教わるコロッセオは各小都市に存在したようであるが代表的なものがここに近接している。いわゆる円形競技場で紀元前80年に完成し5万人を収容する石造りの巨大スタディアムは下部に猛獣のオリや剣闘士の控える部屋を配し甲子園球場を石で建造したようなものであるからその建築技術とローマ帝国の隆盛の一端をうかがうには十分な遺跡である。それにしても古代ローマ市民はここで猛獣や奴隷の殺傷を観て娯楽としていたのだから、闘牛や闘犬といっても泣いて引き下がれば終わりとなる日本のそれとは全く違う。現代でも日本人と欧米人との精神風土にはこの差が刻み込まれているのだろうか。

(上:豪華絢爛なサンピエトロ寺院内部) 
(中:サンピエトロ寺院外観)
(下:コロッセオ)
(41)イタリア紀行 その4_c0146425_9511864.jpg
(41)イタリア紀行 その4_c0146425_952722.jpg
(41)イタリア紀行 その4_c0146425_95226100.jpg

# by moai-jiji | 2010-01-06 10:00  

(40)イタリア紀行 その3

   南イタリアは乾燥した風土である。比較的起伏の激しい丘は日本のように森や雑草で覆われている事はなく小麦やオリーブの栽培のための耕地以外は岩肌が露出して、貧弱な木々はその山肌を覆い隠すことはできない。これは一つにはローマ帝国が銅や鉄の生産のため森林を伐採したためであると言われている。またこの地域の気候的条件にもよっているわけであろうが日本と比べると緑地率は日本が67%、イタリアが25%だそうである。

   イタリアの長靴の“土つかず”のあたりのマテーラにある世界文化遺産洞窟住居を訪ねた。(写真上)石灰岩におおわれたはげ山の肌に穴を掘って古代7000年も前から生活して古代エジプトと並ぶ歴史を持つ集落である。その後ローマ帝国時代以降、小作人など身分の低い人々が生活を続け第2次世界大戦直後まで続いたようである。電気も水道もない環境の中で雨水をうけランプを照らしての生活が続いたと聞き、2000年前のローマ帝国の繁栄の一方で文明から隔絶した生活圏が最近まで続いたことは実に不思議に感じられる。アイヌの人達がその生活を戦後まで続けることはなかった。最近イタリアのセレブたちがここの住居を購入して自然に身をゆだねた生活をすることが流行しだしたようで、それらしい住居が散見された。このことから見ると雨が少なく温暖な気候に恵まれ生活は思ったより快適なのかもしれない。

   景色をみて南イタリアのそれだとわかるのがソレントの近く海岸に沿った中世の海洋国家アマルフィーである。(写真下)現在はその景色と温暖な気候から富裕層の別荘地帯ともなっているが要塞を配し日本と違って海岸から遠い山の中腹に家が並ぶ様はイタリアの特徴をあらわしている。便利さより防御に気を配り、またペストに感染しないように住居を作ったと説明を受けた。
米を作り野菜を作るために日本人の農家は川沿いや沢に集落を構え、漁民は船の出入りする浦に集落をつくっている。外敵もなくヨーロッパのようにペストの被害も受けなかった日本はその住形式もヨーロッパとは異なる。地続きに外敵、異民族を持ち、石の文化を持つ地中海沿岸のこの地域の厳しさを思う。

(マテーラの洞窟住居 上)   (アマルフィーの海岸風景)
(40)イタリア紀行 その3_c0146425_16342973.jpg
(40)イタリア紀行 その3_c0146425_1635925.jpg

  

# by moai-jiji | 2009-12-17 16:37  

(40)

南イタリアは乾燥した風土である。比較的起伏の激しい丘は日本のように森や雑草で覆われている事はなく小麦やオリーブの栽培のための耕地以外は岩肌が露出して、貧弱な木々はその山肌を覆い隠すことはできない。これは一つにはローマ帝国が銅や鉄の生産のため森林を伐採したためであると言われている。またこの地域の気候的条件にもよっているわけであろうが日本と比べると緑地率は日本が67%、イタリアが25%だそうである。

イタリアの長靴の“土つかず”のあたりのマテーラにある世界文化遺産洞窟住居を訪ねた。(写真上)石灰岩におおわれたはげ山の肌に穴を掘って古代7000年も前から生活して古代エジプトと並ぶ歴史を持つ集落である。その後ローマ帝国時代以降、小作人など身分の低い人々が生活を続け第2次世界大戦直後まで続いたようである。電気も水道もない環境の中で雨水をうけランプを照らしての生活が続いたと聞き、2000年前のローマ帝国の繁栄の一方で文明から隔絶した生活圏が最近まで続いたことは実に不思議に感じられる。アイヌの人達がその生活を戦後まで続けることはなかった。最近イタリアのセレブたちがここの住居を購入して自然に身をゆだねた生活をすることが流行しだしたようで、それらしい住居が散見された。このことから見ると雨が少なく温暖な気候に恵まれ生活は思ったより快適なのかもしれない。

景色をみて南イタリアのそれだとわかるのがソレントの近く海岸に沿った中世の海洋国家アマルフィーである。(写真下)現在はその景色と温暖な気候から富裕層の別荘地帯ともなっているが要塞を配し日本と違って海岸から遠い山の中腹に家が並ぶ様はイタリアの特徴をあらわしている。便利さより防御に気を配り、またペストに感染しないように住居を作ったと説明を受けた。
米を作り野菜を作るために日本人の農家は川沿いや沢に集落を構え、漁民は船の出入りする浦に集落をつくっている。外敵もなくヨーロッパのようにペストの被害も受けなかった日本はその住形式もヨーロッパとは異なる。地続きに外敵、異民族を持ち、石の文化を持つ地中海沿岸のこの地域の厳しさを思う。

# by moai-jiji | 2009-12-17 16:26